2008年07月21日

外山滋比古著「思考の整理学」

外山滋比古著「思考の整理学 」ちくま文庫
mehoriさんのLifehacking.jpで、この本についてふれておられました。ブログに「四半世紀前に書かれた」とあったので、新刊の所在を確認することなく、図書館に直行して借りてきたのですが、職場の机の上に置いていたこの本を見た同僚から、「あら、もう読んでるんだー」と言われてしまいました。この本、今でも売れ続けているそうですね。読売新聞の下段の書籍広告で紹介してありました。私とは読書傾向のちがうかたですけど、変わった名前なので覚えていたとおっしゃっていました。しかし外山滋比古なんて、今どきの人は知らないのですね(笑)。

 私はたぶん、この本には高校生ぐらいの時に出会っていたと思います。手にとって読んでみるまで全くそのことを忘れていましたが(笑)。しかも私の中ではこのかたと、同じころに知った那野比古氏、NHKのアナウンサー国井雅比古氏がセットになっています(笑)。「比古」つながりですね。

 前置きはこれぐらいにして、この本を初めて知ったのはおそらく川喜田二郎氏の「発想法」や梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」と同時期に、たぶん図書館で並べてあったのを見て手に取ったのではないかと思います(なにせ昔のことですので、詳細は忘却の彼方……)。

 mehoriさんは「(前略)この本は、このブログ(引用者注:mehoriさんのブログLifehacking.jpのこと)で書きたいと思っていたようなことを全て先取りしていますので、自分にとっては危険な本でもあります」と書いておられます。内容についても詳しく書いていらっしゃいますので、私のほうではあえてつけ加えませんが、今読み返してみてもインスパイアされることが多いと思います。「考える」ということをシステム化し、「考えつく」ための様々な方法について書かれた本といえるでしょう。カードの作りかた、メモの取りかた、そこからデータを整理して論文を仕上げる。普段のブログではもちろんここまでやっていませんけど、こういうのを読むと、自分でも何かまとめてみようかと思ったりします。
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2008年07月17日

樋口健夫著「図解 仕事ができる人のノート術」

樋口健夫著「図解 仕事ができる人のノート術 - ノートを使って深く考え、発想する122の方法!!」東洋経済新報社、¥1,575
樋口健夫氏はまちがいなく、私の師匠です。今日の私を形成している少なからぬ部分に、樋口さんの影響があると思います。コメントもいただきましたので、久しぶりにこの本を引っ張り出し、読み返してみました。奥付を見ますとこの本は2003年9月発行。そのころ購入していると思いますので、今から4年半ほど前になりますが、内容はまったく古びていません。

 たとえば、会議ではテーブルの図を描き、席順を書いていくことをしていますが、これは樋口さんの受け売りだったのですよね。研修などの初対面の場で、名前を聞いた先から書いていき、必ず名前で問いかけることは大事だと思い、実践していたのですが、これはこの本を読んでからはじめた習慣でした。また、なんでもノートに取り込む姿勢も樋口さんからの影響です。電卓、付箋、名刺、定規、お金、コンタクトレンズの予備、USBメモリ…… 何がなくてもノートさえあれば、それほどこまらないという状況です。逆にもしこのノートをなくしたらと考えると、ぞっとしますね。

 さて、樋口さんはノートを使い倒していらっしゃいます。私はまだここまでには至っていませんが、改めてこの本を読み返してみて、まさに「ノートは人なり」。もし自分が死んでも、このノートがあれば「私」という人格はこのノートに残る、そうなりそうです。すべてを記録する発想、「ユビキタス・キャプチャ」という言葉は最近知りましたが、そのための一つの方法が樋口さんのやりかたです。このあたり、私はまだまだ改善の余地があって(笑)、自分なりの方法をいまだ模索中です。

 この本のキモはいわゆる「アイデアマラソン」で、やればおもしろいと思いつつ、いまだに実行に移せていません。同じことをやる必要はないので、自分なりの「何か」を見つけたいと思っているのですが、仕事とプライベートを分ける方法(あるいは分けない方法)がみつかっておらず、苦慮しているところです。この本自体、まだまだお世話になることが多そうで、少なくとも近い将来にBOOKOFFに行くことはないでしょう(笑)。また読みたいと思っています。
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2008年05月29日

「超」手帳法

野口悠紀雄著「「超」手帳法 (「超」整理手帳シリーズ)」講談社、¥1,365
野口悠紀雄氏の出発点とも言うべき「超整理法」以来、野口氏のファンですが、その後雨後の竹の子のように降って湧いた「超」シリーズ(本人のもそうですが、むしろそれ以外のもの)に辟易して、最近ではそれほど注目していませんでした。まもなく年が変わるので、手帳のことでも考えようかと思い、この本を手に取った次第です。1年前の出版ですが、もちろん現時点でも問題なく読める本です。
 さて私は野口氏の「超」整理手帳は使っていません。手帳に関するノウハウはいろいろな人のいろいろな考えかたを利用しており、野口氏もその一人に過ぎません。私はA5のルーズリーフを使っていますが、これはアイデアマラソンの樋口健夫氏からいただいています。書き込むのにある程度の大きさがあった方がいい、かつ値段の安いものということで、ここに行き当たったのが5年ぐらい前かな? 百均で買ったファスナー付きの透明な袋(「クリアケース」というのかな?)にルーズリーフ用の穴をあけていくつかはさみ、ペンや定規、乾電池、使い捨てコンタクトのスペアなど、いろんなものをつっこんで使っています。これはかなり便利。何もなくてもこの1冊だけあると、精神的にかなり支えになります(笑)。今回野口氏の本を読んで、「ペンの遍在」の重要性に気がつきましたので(「ペンは数で勝負」(p.142))、カバンをはじめ手帳そのものにも複数のペンを入れておくことにしました。そしてケータイ、キーホルダなど、あらゆるものにも携帯用の小さなペンをつけることにしました。たくさんペンがあるとそれだけなくす確率も高いので注意が必要ですが、高価なペンを使っているわけではありませんから、割り切って使うこととします。

 野口氏の「A4をそのまま使う」という発想にもつながると思いますが、私がA5のルーズリーフを使うのは、「ほしいものドンピシャ!」が既製品ではほとんどないからです。たとえばアドレス帳。私の場合必要なのは電話番号だけで、住所まで要るのは1割未満です。書きうつすのも面倒ですし(笑)。もっとも、最近はケータイを持つようになったので、電話番号簿はほとんど使わなくなりましたが…… 結局本当にほしいモノは自分で作る以外にないのです。しかし自分で作るといっても、既存のものをA5に縮小印刷をかければ終了。手間いらずです。もちろんA5無地のルーズリーフを手に入れることはそれほどむずかしいことではありませんから、この方法にはとても満足しています。100枚入りというのをまとめて買っておき、職場と家においておいて、必要なときに必要なものを印刷していく。電話番号簿、カレンダ、仕事で必要な統計資料、暇なときの読み物などをいくつか印刷して、はさみこんでいます。また、白紙のノートそのものも、マインドマップするときに便利ですので、そのまま綴じています。マインドマップにはちょっと小さいですが、ないよりはマシ。

 ところで野口氏の手帳にかける思い、並々ならぬものがありますね。かつて「スケジュールに束縛されなかった牧歌的時代」(p.29)から、電話や電子メールなどの技術的条件が整備された現代になって、手帳にもとめられる機能が大きく変わったにもかかわらず、「「十年一日」の従来型」(p.33)、「いや、正確に言えば、20年も30年もまったく変わらない古い姿のままだ」(pp.34-35)と切って捨てる挑発的な発言、ご自身の経験から出発されて、結局「超整理手帳」なるものまで作ってしまわれるというこだわり、執念といいますか、敬服いたします。ただし野口氏に必要なものが誰にとっても100%満たされるものであれば、「超整理手帳」を使えば済む話。私に必要なものは私で作るしかありませんが、私にはそれほどこだわりがあるわけではありませんので、「いかに手を掛けずに自分のニーズを満たすか」を追った結果が私のA5ノートです。「必要なものを自分で作る」という点で、私と野口氏のベクトルは同じ方向を向いていると勝手に解釈しています(笑)。

 さて、手帳の使い方は野口氏によればタイムマネジメント、メモ、ToDo機能が必要で、現在にあってはITも視野に入れるべき。それぞれに野口氏の「こだわりかた」を紹介しておられ、考えかたは非常に参考になります。今すでに手帳を使っておられるのであれば、ご自分の手帳運営の参考に十分なると思います。
 ITに関するくだりでは、デジカメの使いかたが参考になります。メモとしてのデジカメは、こうしてまとめて読んでみるとなるほどと思うことが多数あります。スキャナのかわりに使うという発想は、多くの人にとっても「コロンブスの卵」ではないでしょうか? しかし、この本について私の不満は、まさにこの「ITとの連携」が弱いことです。PDAが世に出たとき、手帳はもう時代遅れだと思いましたが、実際に使ってみると結局アナログの手帳のほうが使い勝手がよい。しかしPDAにはもちろんPDAのよさがあります。とりわけ現在ではケータイが多くの人にとってのPDAであり、メモ帳になっているのではないでしょうか。このあたり、たとえば「IDEA HACKS! 今日スグ役立つ仕事のコツと習慣」、「TIME HACKS!」などの本はケータイも視野に入れており、仕事を進めていく上でのベストチョイスを模索していると思います(野口氏はケータイについてはあまり言及しておられません)。たぶん、ケータイを持つ以前であれば、野口氏の本は私にピッタリ来る本だったと思いますが、今は選択肢が他にもあるという状況です。アナログの手帳を語る上で野口氏の著作ははずせないでしょうが、私たちは別にアナログにこだわる理由はありません。要は仕事が進めばいいのですから。

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2008年03月18日

コーチングの技術

菅原裕子著「コーチングの技術―上司と部下の人間学 」講談社現代新書、¥735

人は潜在能力を備えた存在であり、できる存在である。
人はよりよい仕事をすることを望んでいる。(p.31)

二つの人間観に裏打ちされているのがコーチングです。コーチングはうまく使うと非常に強力なツールになりますが、そのための環境も重要です。会社でいえば、社内のコミュニケーションが良好であること。また目標を設定して、そのためにどうしていくかを一緒に考える。会社の構造がヒエラルキーを崩し、フラット化していく中で、コーチングの技法は使えると思うし、私としても使えるようにはなっておきたいと思います。自分がコーチする側としても、される側としても。

 具体的な手法は、コーチングを抜きにしても、相手の話を聞くなどの場面で有効です。ばくぜんと「話を聞く」のではなく、「視線を合わせ、相づちを打つ」などのテクニックをきちんと使うことが大切です。ミラーリング、ペーシング、バックトラッキングなど、さまざまな手法や用語が出てきます。一つでも二つでも、実際の場で使うのは可能だと思います。できるところからやってみたいと思います。

 さて、コーチングとは、あくまで自分で気づく(気づかせる)ための手段です。答えは自分(その人)の中にある。手取り足取り教えるのではなく、サポートしてあげる。これはむずかしいことですよね。自分の周りを見ても、教えるか、さもなければ放任しておくかのどちらかに傾きがちです。しかし最初に述べたとおり、人には能力があり、望んでいるものなのです。それをサポートしてあげることで、その人が伸びていく。そしてその対象は他人でなくても、自分でもよいのです。

 自分をコーチすることは、すごくむずかしいと思います。できれば誰か、メンターがいたほうがよいでしょう。しかしコーチングの考えかたは、自分にこそ使ってあげるとよいと思います。自分には能力があり、そうしたいと望んでいる。前向きな考えはよい結果を生むと思いますし、ダメなら反省して次にいかせばよい。失敗を恐れて何もしないよりは、前に進むほうが、自分らしいのかなと思います。
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2007年11月29日

脳が冴える15の習慣

私たちはともすると、脳を衰えさせることばかりしているのではないか? 脳を衰えさせないために大切なのは、高度な訓練や「脳トレ」ではなく、ごくありふれた習慣を愚直に繰り返すことのなのです。築山節著「脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める (生活人新書)」の主張です。

 朝早く起きること、夜きちんと寝ることといった当たり前の生活習慣が、脳にとってはどれだけ大切か。むずかしいことでも何でもありません。しかし当たり前の生活習慣が守りにくくなっているのが現代です。子どもですら、夜更かししている子が当たり前にいます。学校の成績ときちんとした生活習慣(ex. 早寝早起き、朝食をきちんと摂る、etc.)には相関関係があるそうですから、規則正しい生活をするのは非常に大切であると強調しておきます。また、当たり前のことですが、睡眠時間を削って勉強するなどはまったく意味のないことです。仕事も同じです。早く寝ましょう。

 私が大事だと思ったのは、まず「習慣5 自分を動かす「ルール」と「行動予定表」をつくろう」です。私は、自分の能力が高くないとしても、決して他と比べて見劣りするものではないとかたくなに信じていますが(笑)、期日がある仕事の納期が守れなかったり、うっかりミスがしばしばあるなどの問題に悩んでいます。こうしたことは、チェックリストをつくって漏れのないようにするなど、簡単にできるかなと思ったりします。しかしチェックリストを作ったことを忘れてしまったりするので、お話しにならない部分も少なからずありますが(笑)。筆者は「書きながら考える」、「書いて確認する」ことの大切さを説いています。私も、なるべく、いちいち、細かく書くことを肝に銘じています。

 また「習慣6 忙しいときほど、「机の片付け」を優先させる」は実行したいところです。ブログにも書いていますが、私は整理整頓があまり得意ではありません。「かなり苦手」というほうが正確でしょう(笑)。筆者は「思考の整理は物の整理にあらわれる」と表現していますが、たしかに私の頭の中もごちゃごちゃでとりとめがなく、整理されていなくていつも途方に暮れています。せめて部屋の中だけでも、第三者にもわかる整理整頓をしてみたいと思います。

 仕事などの意欲を高めるために、「習慣15 人を好意的に評価しよう。時にはダメな自分を見せ」るのも大切だと感じます。私にも他人を好意的に評価するという視点はあまりなかったように思います。他人をほめるのは他人のためにやっているわけではなく、自然とそうした感情が起ってくるような人になるまで、しばらくは私も調整していきます。

 最初に書いたとおり、当たり前のことを普通にこなすことこそが、脳を衰えさせない秘訣です。また、ブログを書くことなども有効であると筆者は説きます。私、早起きですが、睡眠時間は少ないかな? この本のおかげでいくつかの行動指針ができたように思うので、さっそく実行していきたいと思います。

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2007年10月08日

若者はなぜ3年で辞めるのか?

城繁幸著「若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来」光文社新書、¥735
企業の多くが成果主義を取り入れているが、その実態は年功序列のバリエーションに過ぎない。私たちはいまだに、中心に年功序列をおいた「昭和的価値観」にどっぷりつかっている。それは若者に厳しく、30代にはメンタルな負担を与え、中高年に早期退職を迫るシステムである。こうした価値観から逃れるために、複数のキャリアを許容する社会を作ると同時に、私たちは「内なる動機」に目を向けなければならないというのが本書における筆者の主張。

 私は30代後半ですが、すでにこのシステムに乗っかかり、おこぼれをあずかっています。ですからこの本を批判することができない。批判すると自分の首を絞めてしまいそうなのですよね(笑)。もし私が5歳若かったら、この本を読んで引け目を感じることはなかっただろうにと思います。きっと筆者の主張に全面的に賛成した上で、会社の上司などを捕まえてケンカをしていたのではないでしょうか(笑)。あるいは選挙に打って出るとか(笑)。「若者党」とか作って(笑)。私が現行システムを否定したら、スキルも人脈もない30代後半はどうしたらいいのか……

 私を含め、「内なる動機」に目を向けることは必要だと思いますが、果たしてそのようなモノがあるのでしょうか(笑)。日々、仕事に追われているのが実態。そうした中で、たとえば勝間氏のように自分の価値を高める努力を続けていくことはとても大事だと思います。

 それはそれとして、年功序列システムは今の年寄りだけが得をする仕組みだというのは当たっていると思います。先日、ある50歳代半ばの、しかるべき地位にいらっしゃる男性のかたから話を聞く機会がありました。そのかたは(他に年上の人もいる中で)27歳の女性を大抜擢して職場の中心においたという話をされましたが、その陰で職場の中心になれなかった30代、40代のかたがいらっしゃったんだろうなーと想像すると、「30代、40代の人たちがひーひーいって担ぐ御輿の上で、涼しげにふんぞり返る50代のおじさんと、そのとなりでうちわをあおぐ27歳の女性の図」が目に浮かび、なんだかフクザツな心境になりました(笑)。50歳代の男性も決して悪いかたではないのですが、日本全体がこういう世の中に変わってしまったのではないでしょうか? こういう書きかたをすると、年功序列に賛成しているのかと問われそうですが、結局、私はこのシステムを否定できない、「昭和的価値観」に乗っかってしまっているのだと改めて気づかされてしまいます。「既得権益を持っている年長者にすり寄っている自分」がいるのですよね。なんか悲しい……
 筆者がいうように、年金額は現時点から支給額を大幅にカットするというのは賛成です。自分の親を見ても、預貯金はたくさんありそうだし(笑)、今の人びとの既得権益を守るかわりに、将来の人に負担を強いる仕組みは現世代を食い物にするという議論には賛成です。現在困っている人にはセーフティ・ネットで保護することになるでしょう。どこかの政党が今突然にそのことを表明すれば、次の総選挙で躍進することまちがいなしだと思います(笑)。
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2007年07月26日

「よのなか」科

藤原和博・三室和也著「親と子の[よのなか]科 ちくま新書
総合的な学習の時間”家庭版”(p.009)。授業のような仕掛けがあるかどうかはともかく、考える材料は日常にたくさん転がっている。親のほうは大変で、いつでもアンテナを張り巡らせておく。引っかかったらどう料理するか。子ども次第で、意外なところに進んでいく場合もあります。

 もともとこの「総合的な学習の時間」は「生きる力」をつけるためのものだとあります。「生きる力」とはまた大げさな! と思いますが、「生活の中で頭をどう使うか」を教えることは大切かと思います。筆者たちがめざすのは「そしていっしょに考えてみましょう。「なぜ」に対する仮説を。繰り返しますが、正解を探すのが目的ではありません」(p.065)。考える癖をつけるようになってほしいとの筆者の願いです。
 これ、一次的にはテレビやビデオゲームより、本を読んだりすることにつながるのかなと思います。これまた最近何度も引いていますが、ピーター・フランクル氏は「趣味は勉強」とおっしゃっていましたが、本当に学ぶことは楽しい。以前も書いたかと思いますが、本の知識が「つながって」、「使える」ようになるにはずいぶんと時間がかかるように思います。対処療法としての読書では続かない。すぐに効果の現れるメリットではなく、今は単に楽しい、それがいずれ血となり肉となっていく、そういったものが読書であり勉強、ひいては教養につながるのであろうと思います。
 さいわい、うちの子どもたちはみんな本が嫌いではなさそうで、図書館に子どもたちを連れて行くとみんな思い思いに自分の興味の向く本を見つけてきては、静かに読んでいます。知識が「生きる力」につながるのかどうかはよくわかりませんが、知識はないよりあったほうがマシでしょうし、荷物になったりすることはないですから、ことさらに知識を増やす努力は不要としても、ほどほどの知識はあってよいでしょう。また、大人になれば静かに本を読む習慣など消え去ってしまいますが、すくなくとも机の前に座って静かに勉強することは将来できるようになるだろうとも推測できます。

 さて、生活の中である問題が起こったとき、後から振り返って「もう少し考えておけばよかった」と後悔することは、私の場合よくあります。そういった後悔を減らすために、考える癖はつけておいたほうがよいのでは? そして私たちの子どもにも、「考えられる人」になってほしいと思っています。

 ちなみに私は自分の子どもに対しては、こんな感じで接するようにしています。
1)答えを教えない  これは本当はなかなかできないのですけど。理想は子どもたち自身で答えを考え出すことだと思います。しかし答えが見つけ出せなければいやになるだろうし、答えを与えてしまっても飽きる。かねあいがむずかしいです。ヒントの与えかたにかなり気をつかいます。
2)答えを否定しない  明らかに違っている場合には流して(笑)、正解が出たところで前の答えをやんわりと訂正します。「そういう場合もあるかもしれないけど」などとフォローしています(笑)。
3)関連知識を紹介する  次につなげるという意味で、いろんなケースを想定して伝えること。しかしそのとき全部は言いません。つい、自分の知っていることはすべて伝えたくなりますが、その誘惑に打ち勝たねばなりません。考える余地を残しておいてあげる。

 教えかた、子どもへの接しかたに正解があるわけでもなく、またまちがいがあったとしても、それは取り返しのつくものでありましょうから、あまり神経質になることもないかなと思います。子どもが成長して私たちの手を離れるまで、まだ時間はあります。いつも何を教えるか考えているのでは、子どもたちも息が詰まるでしょう。また親がこの程度ですから、子どもが私たちより優秀だとしても、たかが知れています(笑)。大成するのはむずかしいとしても、普通に育てれば我々程度には育ってくれるでしょう。とりあえず子どもへの接しかたとしては勉強になる本ではないでしょうか? と無理矢理結論づけておきます(笑)。
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2007年05月31日

ピーター・フランクル著「ピーター流らくらく学習術」

ピーター・フランクル著「ピーター流らくらく学習術」岩波ジュニア新書、¥777
以前、ピーター・フランクル氏の「ピーター流わくわく旅行術」を読んでおもしろかったので、この本を見かけたら速攻で購入しました(笑)。

 ピーターさん(と親しみをこめて呼ばせていただきます)は、楽しく、楽に、たくさんのことを勉強されています。趣味は勉強! 私の周りにもこういう人はいますが、でも「趣味」と言い切るのはなかなかできないかな?
 ピーターさんは数学者にして12か国語を操る、いわば「天才」の部類に属してしまう人ですから、私たち凡人と比べてもあまり参考にならないのではと思われる向きもあるでしょう。たしかに数学は才能が大きくモノをいうのではないかとは思いますが、でも語学は(ま、これも才能はかなり重要だと思いますが(笑))、日常会話程度なら努力でかなりの部分をカバーできると思うので、凡人にも参考になるところはたくさんあるかと思います(笑)。

 と、凡人である私も凡人なりに得られるところがあればと卑屈な気持ちで読み始めたのですが(笑)、語学の勉強方法などはかなり参考になります。しかし、それ以上にこの本から「学ぶことは楽しい」ということを感じ取れたら、読んだ価値はじゅうぶんにあると思います。

この本は、
1. ピーターさんの生きかた
2. 語学などの学習の方法
3. 日本社会への提言
という3つの視点から読んでみます。

1.ピーター・フランクルさんの生きかた
1)「人の財産は頭と心だけだ」  冒頭、ピーターさんのお父様の話が出てきます。お父様はピーターさんによくこういっておられたそうです。ユダヤ人は教育に熱心であるとよく聞きます。しかしユダヤ人に限らず、これからの世代が発展していくために教育は欠かせません。教育を重要だとする姿勢は見習いたいと思います。
2)自信を持つこと  私の子どもは、段差があると子ども自身がそれを飛べるかと聞くのですよね。私の答えはいつも同じで、「飛ぶ能力はある。でも飛べないと思ってしまうと飛べないよ」。自分に制約を課してしまうと、できるものもできなくなってしまうと思います。ピーターさんはそのために、グループではなく、一人で行動を起こすことを勧めます。そしてそのために、人より優れているものを一つ、見つけることを提案されます。でも才能がなく、人より優れたものがなかったら? そこが努力の介在する余地なのです。ピーターさんで言うと、ジャグリングがそう。最後にものを言うのが才能だとしても、誰でも最初から手の数より多いボールを投げられるわけではありません。
3)他人と比較しない  できる人と比べて自分はダメだとか、ついやってしまうんですが、うちの子はクラスの誰かと比べてどうだとか、思ってしまうのですよね。しかしこれはいけません。「人間をダメにするのはほかの人との比較です」(p.98)。そうではなく、「人間が一番気にかけるべきなのは、今日の自分が昨日の自分よりも少しよくなることです」(p.98)。

2. 語学の勉強法
ピーターさんが学生時代にドイツ語のあまり得意でない先生から教わったという方法に、1日に10個ずつ単語を覚えていくというのがあったそうです。これ、誰でも考えつくのですね(笑)。高校時代はこういう勉強をよくさせられました。単語テストとか言って、「でる単」みたいなやつの小テストが毎朝のようにあるというアレ。意味ないでしょ(笑)。高校生の時は、あんなもの何の意味もないと思って全然やりませんでしたが、私も社会人になってから新しい語学でもはじめようと思った途端、なぜかあの方式を思いついたのです(笑)。2日目にして挫折しました(笑)。単語はそれだけで覚えられるわけありません。なるべくセンテンスの中で覚えていくほうが覚えやすいですし、そこから派生して単語を増やしてやるほうが有益ですね。辞書を引くと例文が出てきますから、そちらをいろいろいじってやったり。
 あと、とにかくしゃべってみるというのは大事だと思います。これも高校のころでしたが、英語で日記をつけることをしてみなさいというのと、間違って覚えてしまうと意味ないから英語で日記などつける必要なしというのと、二つの異なる意見を耳にしたことがあります。私にとってはもちろんやらない理由をあげておくほうが面倒がなくてよいですので、後者を言い訳に書かなかったクチなんですが(笑)、これもよく考えればやるほうがいいですね。まちがいを気にしていたら身につきませんから、とにかく英語を使う機会を増やしてやるほうが、絶対に身につきます。ピーターさんも述べておられますが、英語でひとりごとを言ってみるとか。「意味ない」とバカにするのは簡単ですけど、それで何もせず、結果的に何も身につかなければもっと意味がありません。自分が書いたりしゃべったりしたことを「正しい」・「正しくない」と検証することは大事ですが、それは「しないよりしたほうがよい」という程度で、最初のうちはとにかくまちがいを恐れずにじゃんじゃんしゃべらせるべきだと思います。もちろんネイティブや先生に検証してもらえるのであれば、その機会を100%利用するべきです。

 自分以外の人が提案する勉強の方法は、とにかくやってみるべきですね。もちろん1日に単語を10覚えなさいというような暴論もありますけど(笑)。他人が進める方法でも、できるものもあればできないものもあるわけで、できるものだけでけっこうですから、とにかくやろうとしてみるべきです。英語に身をさらすというか、わからなくてもCNNを聞いてみる。聞かないよりはよいと思います。そして継続すること。意志こそが力を生むのだと思います。

3. 日本社会への提言
ピーターさんは日本社会への提言として、「日本のソフト化」をおっしゃっています。これはコンピュータで言うところのソフト、「頭」を鍛えよということです。それは若い人材を育成することだけではなく、優秀な頭脳を輸入せよとおっしゃいます。こういう発想はあまりないような? たとえば東大の先生を見ても、外国人といえば語学ばかりだそうです。見たことはありませんが、そうであるような気はしますね。アメリカではこれから大学生になるような人より、修士や博士のほうがは入りやすい。つまりアメリカにとって役立つ人をたくさん受け入れている。またアメリカの大学の名簿を見ると、アメリカ生まれでない教官が半数以上を占めていると言うことですから、日本とは大きく姿を異にしています。

 こうしたことから、日本の教育自体もソフト化していくべきだとおっしゃっていますが、これにまったく反対であるのが部活と制服であるとのこと。ちなみに日垣隆氏も部活には反対だそうですが、私は高校生の頃、担任から進学に邪魔だから部活は辞めろと言われても無視して続けていました(笑)。結局浪人しましたけど(笑)。部活、悪名高いですね。運動は好きなのですよ。でも今考えると、あの軍隊みたいなやり方はダメですね。私が部活を続けられたのも、顧問が実質的に不在で、いわゆる先輩・後輩の縦の関係も強くなかったからです。逆にだから担任は部活を辞めろと言ったのでしょうが(笑)。制服もやめたほうがいいですね。詰め襟とか学生以外着ないし。お金はかからないでしょうが、あれはファッションセンスをダメにすると思います。ちなみに私、中学生の頃は坊主頭でしたし、私が今日あるのは坊主頭と制服によるところ大です(笑)。
 同じ観点から、ルールを最小化することも言っておられます。これは私もいつも感じます。ルールは結局、官僚など頭の良いかたがたの権益を増すばかりで、無駄な税金が投入される温床になってしまっているような?

 最後に、日本人が海外に旅行するときにはツアーではなく、自分でアレンジすることを勧めています。これは以前の「旅行術」でも書いたのですが、私もツアーだけは勘弁してほしい。自分の旅行ぐらい、自分の好きなようにしたいと思います。面倒くさい? それが楽しいじゃないですか!
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2007年02月20日

日垣隆著「世間のウソ」

日垣隆著「世間のウソ」新潮新書、¥714
日垣隆は「読ませる作家」です。その理由は5つあります。
(1)第一行目が非常にキャッチーである。本書の冒頭は「ウソには五種類あります」(p.3)ではじまっていますが、読者は自分なりの「ウソ」の分類を考えて、「それでどーなんだ?」と読み進めていくでしょう。5種類のウソの分類が適切かどうかにかかわらず、この時点で、日垣氏の「勝ち」ですね。
(2)タブーや常識に疑問を投げかけています。本書で言えば、精神鑑定(第3章第7話、pp.100-107)、「民事不介入の原則はない」(pp.115-118)などがそうです。日垣氏のこうした姿勢に、ガツンとやられている人は少なくないでしょう(私もしかり)。なお、精神鑑定については、この本だけでなく、これまでの著書でも日垣氏は声を大にして叫んでいます。
(3)同時に、権威に対しても遠慮なく声をあげています。裁判員制度(第5章第13話、pp.170-179)、アメリカやロシア(第2章第14〜15話、pp.180-202)なども、遠慮会釈なく切り捨てる。
(4)あえて多くの人が着目していない論点を取り上げ、「悪を暴いて」いきます。本書では人身売買(第2章第5話、pp.67-83)、部活(第3章第9話、pp.119-129)などがこれに当たると思います。「悪」といっても、単純に人身売買が悪いと言っているわけではありません。くわしくは本文を。
(5)何を題材にしても、日垣氏は問題点をロジカルに解きほぐし、説明してくれています。決して「反対のための反対」ではなく、実生活や社会にコミットした、「建設的な意見」だと思います。

ということで、日垣氏に倣って書いてみましたが、確かになんとなく、考えが深まっているような(笑)? こういう訓練はだいじかもしれないと単純な私などは考えてしまいました(笑)。ぜひ今年は、自分のブログの質を上げたいと思っていますが、そのためにも年頭によい本を選んだかなと自画自賛(笑)。

 それはともかく、日垣隆氏は私の好きな著述家の一人です。「ガッキィファイター」の購読をいつも真剣に検討しています。いつかお金に余裕ができたら定期購読しようと思うのですが、といっているかぎり永遠にお金に余裕ができることはないでしょう(笑)。著作も半分は読んでいると思います。たくさん書いていらっしゃいますね。「ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する」もそうでしたが、とかく私たちは数字にだまされやすい。日垣氏は数字の意味するところを端的に語っておられ、漠然と思っていたこと、思わされていたことを考え直すきっかけを与えてくれます。冒頭の「宝くじがいかに当たらないか」はこのブログを読んでおられるかたには必要ないかと思いますが、その他にも適切な「お題」を選んでいらっしゃると思うので、興味のあるかたはぜひ読んで見られるとよいのではないでしょうか?

 言わずもがなのことではありますが、あるニュースが伝えられたとき、そこには「事実」があるわけではありません。たとえ通信社による単なる配信だとしても、そこには実は「単なる配信」などというものはありません。誰かが、何らかの意図を持ってそのニュースを流しているわけですし、どんなニュースにもなんらかのバイアスがかかっています。

 よく私たちは、「批判的に読め」などと言われますが、そのとおり。しかしその「批判的に読む」ことはむずかしい。日垣氏の文章などは、こうした感性を磨くのに適切な題材だと思います。ほかには呉智英氏とか。私、朝日新聞を読んでいるのですが、朝日新聞には「朝日新聞」的なバイアスがかかっているとよく言われます。これは訓練の初歩としては適切な題材ではないかと密かに思っていますが、いかがでしょうか(笑)? 

 何であれ、「ほんとうにそうか?」と疑うことはとても大事です。しかしわれわれは常に批判的に考えているものでしょうか? テレビのニュースなどでは、思考が立ち止まらず、どんどん次の言葉やニュースに頭が切り替わってしまうので、考えるには不向きですね。インターネットも、本当なら一つ一つの字面を追っていくべきだと思いますが、まさに「ブラウジング」で終わってしまっています。活字を追うことはとても大切だと思います。最近、新聞もちゃんと読んでいないのですが……

 ちなみに氏のいちばんの作品は「「松代大本営」の真実―隠された巨大地下壕」だと思います。私はこの本で、日垣氏を知りました。新刊では手に入らないのかな? こちらもどうぞ。
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2007年01月22日

ダミアン・ミレー、エリック・トゥーサン著「世界の貧困をなくすための50の質問」

ダミアン・ミレー、エリック・トゥーサン著「世界の貧困をなくすための50の質問―途上国債務と私たち」つげ書房新社刊、¥2,100
 世界から貧困をなくすために、私たちには何ができるのか? 読んでみたのですが、むずかしい本でした。むずかしい言葉が使ってあるわけでもなく、むずかしい概念があるわけでもない。しかし、正直に言ってよくわからないのです。何がわからないかもよくわからない。世界の貧困を作っているのはアメリカや日本などの「北」の国々−−そしてその手先と成り下がっているIMFと世界銀行−−で、「南」から一次産品などのわずかな収益を強奪しているという図です。結局自分たちも、世界の貧困を作っている一つの原因なのだと、思いたくないからなのかもしれません。

 「南」の国々が膨大な債務を持つにいたったのは、
1)アメリカの膨大な国際収支の赤字増、ベトナム・イラン・ニカラグアなどにおけるアメリカの失敗で、「アメリカの危機」が起こったとき、アメリカは自国に投資を呼び込むために、高金利政策をとった。
2)このとき、南の国々に貸し付けられていたお金は変動金利で、1970年代には4〜5%だった金利が16〜18%と一気に高額になった。
3)南の国々が債務を返すために、原材料や農産物などの輸出量を増加させたため、価格が大幅に下がった。
 そして筆者によれば、1980年に借りた1ドルごとに、途上国はすでに7.50ドルを返済したのに、いまだに4ドル借りていることになっているのです」(pp.122-123)。

 とりあえず、私たちはこうしたしくみによって、「南」の国々が債務を持つにいたった経過、理由を知ることができました。日本だけでも、こうした債務をすべて放棄してしまうということは可能のなのでしょうか? それで世界から貧困がなくなるというのであれば、考えるべきなのでしょうか? そこのところは、実は私にはよくわからないのです。私にできることは何なのでしょうか?

 世界から貧困をなくすために、筆者が考える方法というのは、現在の第三世界が抱える対外債務をご破算にしてしまえという、かなりカゲキな主張です。しかしカゲキとはいっても、こうした債務は「北」の国が「南」を陥れた、いわば「汚い」(odious……この表現は本文中にたくさん出てきます)債務であり、これまでに取られてきた債務繰り延べ(リスケジュール、リスケ)や債務帳消しは数字のマジックに過ぎない(本来の意味での「債務帳消し」ではない)、またすでに見たとおり借りたお金についてはじゅうぶん返済してきているので、債務帳消しは決して「借金の踏み倒し」ではなく、すでに債権者もじゅうぶんに利益を得ている、とのことです。また、債務の帳消しによって、モラルハザードが起こるわけでも、「北」の国々が逆に貧乏になってしまうわけでもありません。
 もしそれでも債権を取り立てるのであれば、これまで甘い汁を吸ってきた「南」の独裁者から取り立てたり、あるいは返済の財源として超富裕層への例外的な課税、ODAの増額などの手段を提案しています。しかし、こうしたことが本当に実現するかと問われれば、やはり疑問符をつけざるを得ないです。そうならないように、われわれ市民の側でも、「南」の市民と協同して、債務をなくすための働きかけをしていくべきだというのが筆者の考えです。

 世界を変えることはたいへんです。しかし、変えようと思わなければ変わらないですし、そのために今できることを、できる部分だけでいいから、はじめなければなりません。というわけでとりあえず、この本を訳している大倉純子さんが所属しておられるジュビリー九州で、この本を紹介しているところにコメントを書きました。継続的な動向を知るために、このサイトをぜひ訪れてみられることをお勧めしておきます。
posted by zxcvaq at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆☆☆☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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