2008年11月21日

2008年の読書総括

今年は読んだ数で比べると昨年までより少ないと思います。数は減ったと思いますが、でもよい本に出会えたと思っています。

◎今年の筆頭。
◆梅田望夫著「ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)」、梅田望夫・斎藤孝著「私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書 (723))
 無人島に持っていく1冊ではないですが、「無人島に行かない」のであれば必須。ネットと共に現代社会を生きる人必読の書です。これを読んで私はwikiを開始し、Googleグループをはじめて、小さな「島宇宙」を組織しました。自分が「知の一端」をになっているという自負を持って。私に一歩を踏み出させ、「生きかたを変えた」本です。
梅田望夫著「ウェブ時代をゆく」
斎藤孝、梅田望夫著「私塾のすすめ」



◆司馬遼太郎の「竜馬がゆく (文春文庫)」もよいですね。
 最近の読書傾向はビジネス書が圧倒的に多く、小説などはここ数年で見てもほとんど読んでいなかったと思います。「竜馬がゆく」はその中で、今年唯一と言っていい小説。司馬遼太郎もどちらかといえば「ビジネスマン向き」な存在かもしれませんが、読んだことのない人はぜひ読んで見られるといいのでは? 読みやすいですし、なんせ文庫本で8冊もありますから、読み応えはバッチリ!
PRESIDENT 2008.8.4.



◎空間の整理は情報の整理、思考の整理につながる。
◆佐藤可士和著「佐藤可士和の超整理術」もおすすめ。
 「整理法の根本原理」について知ろうと思ったらコレです。「空間の整理術」から「情報の整理術」を経て、「思考の整理術」へとステップアップしていく考え方は必見。思考を整理するためには空間、情報を整理してあることが前提。読みやすいことでもおすすめです。
佐藤可士和の超整理術
佐藤可士和の超整理術 その2



◎「人に見せる文書を書く人」は必読。
◆山田ズーニー著「伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)
 ブログに毎日文章を書いていますが、いっこうにうまくなりません(笑)。それでも仕事上の文書は、たぶんこの本のおかげで格段に上達したと思います。文章を書くとは、「あなたの書いたもので、読み手の心を動かし、状況を切り開き、望む結果を出すこと」(p.32)と明確な目標が与えられていて、これを実現するための手段が紹介されます。自分の書いたものでも、人のものでも、どこをどう直すかが明確になりました。これまでは「てにをは」の修正が主だったのですけど、「どう直せば伝わるか」を考えるとわかりやすいだろうと思います。その意味でこの本は、長さにかかわらず、人に見せる文書(文章)を書く人の必読書。
伝わる・揺さぶる! 文章を書く
伝わる・揺さぶる! 文章を書く その2



◎自分のものにすべし!
◆トニー・ブザン著「ザ・マインドマップ
 これはビジネスマンに必須の「ツール」です。この道具を持っているかどうか、使えるかどうかは今後の会社員人生に大きくかかわってくるのでは? というと大げさですが、全体感をつかめるこうしたツールは役立ちます。文章を書くときに「どう書くか」を考えるのが山田ズーニーさんの著作ですが、「何を一番伝えたいか」を導き出すために役に立つのがこの「ザ・マインドマップ」です。私のマインドマップはこの本を読んだだけの我流ですが、それでもずいぶんと役立っています。
マインドマップ



 というわけで、今年はこんな本を読みました。ここに上げていない本でも、よい本はたくさんありました。本編中では何度も触れましたが、日垣隆著「ラクをしないと成果は出ない」、あるいは小山龍介著「STUDY HACKS!」など。マンガでは幸村誠著「ヴィンランド・サガ (アフタヌーンKC)」がよかったです。
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2008年08月20日

外山滋比古著「エディターシップ」

外山滋比古著「外山滋比古著作集〈4〉エディターシップ」みすず書房、¥3,150
うちの本棚を眺めておりましたら、外山滋比古著「エディターシップ」がありました。私は大学を卒業するときと東京から帰ってくるときの2回、引っ越しが面倒でしたので、持っていた本のほとんどを手放しました。従って読んだことは記憶にあっても、持っているかどうかとなるとかなり怪しい。その中でこの本は残っていたようです。私が持っているのは1994年の復刻版で、原著初版は1975年2月となっています。

 しかしこれも先日紹介した「思考の整理学 (ちくま文庫) (ちくま文庫)」と同様、内容的にはちっとも古びていません。今読んでも十分おもしろいです。たとえば「インターディシプリナリ」ということば、私は中沢新一あたりが台頭してきたときに初めて知った言葉でしたが、すでにこの本で使われていて、ちょっとびっくりしました。もっとも初版が出たころはまだ字もろくに読めないころですけど(笑)。

 さて、外山氏のいうエディターシップとは何か。本文中では、たとえば「(前略)人間の心には、断片と断片を結合させて連続の錯覚へ昇華させようとする傾向が遍在している」(p.78)、「選び出され、組み合わされると、すべては、その本来の機能、価値とは別に臨時の価値を持つようになる。それを見越してコンテクストの移動を行うのがエディターシップである」(p.98)などと定義されています。すなわち、エディターシップとは新聞や雑誌の編集行為にとどまらず、広く人間の知的な営みを指します。それはたとえば、二つのものから別の意味が立ち上がってくるような、弁証法的手法ともいえるかもしれません。本文では「荒海や佐渡によこたふ天河」という俳句が例に出てきています。「荒海や」と「佐渡によこたふ天河」の論理的関係は明示されていないが、両者はバラバラではなく、まとまっている。

 知的行為はすべてエディターシップであると定義できそうですが、私たちがこうしてブログに書くのももちろんエディターシップです。外山氏はこうしたインターネットの動きを、どのような思いで見つめていらっしゃるのでしょうか。私自身、ブログに書くことに特別の意識があるわけではありませんが、本や他の人のブログを読んだりすることで、私の中で化学反応が起こり、今までにない新しい考えが生まれたり、あるいはこのブログを読んだかたの中で、何かが生まれているのかもしれません。

 勝間和代氏が、インプットとアウトプットの量を50対50に近づけると良いとおっしゃっておられます。日頃の生活の中で、考えたことや本、テレビの話題などをアウトプットする。ブログというツールはそうした使用には便利です。自分で見返す点でも、他人に見てもらう点でも。ブログのために本を読むのは本末転倒だろうとも思うのですけど、本を読んで自分の頭の中で混沌としていたモノが、文字となって形を取ってくるのは楽しい。外山氏はこうしたことを、ずっと前から述べていらっしゃったのです。
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2008年02月11日

マインドマップ

トニー・ブザン著「ザ・マインドマップ」、ダイヤモンド社、¥2,310
マインドマップ(以下MMと略)は、思考の強力なツールになると私も実感しています。実はこのブログ、見よう見まねで作ってみたMMを見ながら口述筆記しています。こういうことがシロートの私にでも、曲がりなりにもできるのは、まさにMMの真骨頂とするところでしょう。今まででも、メモを見ながらこういうことは可能だったのかもしれません。しかし常に全体感を持ちながら細部の話ができるのは、MMのおかげだと思います。

 たとえば本の内容をまとめるときなどは、章立てなどをマインドマップにしておくだけで、論理の構造が頭に入り、筆者の主張や全体理解、全体と細部の関係がよくわかるようになります。また、頭に湧いてきた発想をそのままMMにしていますので(ひとりブレストみたいな感じ?)、口述筆記などもラクです。
 いっぽうで、MMの巧拙というのはあるのかなと思います。実際私は、本に挙がっている事例をいくつか読んで、とりあえず作ってみたのですが、これが正しいMMなのかといわれたらよくわからない。「MMの正しさ」とは、第一に正確な理解、第二に発想の自由な展開だと思いますが、たぶん同じ題材に対して2度、3度とMMを作ってみると、「より上手に」MMが作れることでしょう。人に見せるという意味でも、回数を重ねるごとによりきれいに、上手に作れるようになるだろうと思います。

 私はこのMMを、マルマンのA4スケッチブックに書いています。罫線の入っていない白い紙はいろいろ便利に使えますね。普段持ち歩いている手帳はA5サイズですが、MMにはちょっと小さいかと思います(見開き1ページを使って、MMできないことはないですが、やはり紙は大きいほうがいいでしょう)。MMをするなら、なるべく大きい紙を持ち歩くほうがよいと思いますが、あまり大きいと今度は持ち運びに不便ですから、やはりA4またはB4ぐらいに落ち着くのかなと思います。
 ついでに書いておくと、MMのようなツールを有効に活かすためにも、普段使う文房具の重要性は強調しておきたいと思います。自分の発想を強く促してくれるような書きやすいペンとか手帳、私はこれまで「女の子が使うようなもの」と、ちょっとバカにしてきたようなところもあるのですが、そうじゃないんだと。文房具屋さんでいろいろ吟味している男性というのはあまりいないような気がしていますが(そうでもないのかな? よく知りません)、そもそも文房具を眺めるのって楽しいですね。毎月とか毎週とか、定期的に文房具屋さんをのぞくほどの必要はないでしょうけど、ときどき顔を出してみると、おもしろい道具がたくさんあることに気がつきます。それらは実は、いずれも自分の発想を豊かにするための思考のツールで、湧いてくる発想を活かせる道具なのだということを認識するべきです。スケッチブックにしても、マルマンのありふれたものよりも(これはこれでオシャレかもしれませんが)、よりカッコイイものを使うことでさらに冴えた発想が浮かぶのかもしれません!
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2007年12月05日

すぐに稼げる文章術

日垣隆著「すぐに稼げる文章術」 幻冬舎新書、¥756
 読んでいるうちから、自分の文章を読み返し、どんな悪文を書いているか検証してみたくなります。本書の中で日垣氏が上げている「あと〜」という表現は、私の場合は意識して使っていました。しかしあからさまにダメと言われましたから、今後は使わないようにしたいと思います。とここまで書いて、「〜が」「〜で」を使ってしまったところを2箇所訂正(笑)。

 文章を書くのはむずかしいです。表記に統一性を持たせるように意識しているものの、急いでいるときはATOKのいいなりです。私が気をつけているのは「〜という」はなるべく使わないこと。何行か上で使っていますが、これは削れないと判断した結果です。私は自分の文章を読み返してみると「〜という」をかなり多用していて、文章がダラダラします。もう一つ注意しているのは、読点をなるべく打たないこと。気がつくと点をたくさん打ってしまっていて、結果的に読みにくいことが多々あるからです。声に出して確認まではしていませんね。

 こんなふうにかなり使える本です。「謝罪の文章では、謝罪の言葉、その理由(反省)、償い(穴埋め)の3つを満たすように」などは実用的で参考になります。「意外性をもった書き出しと文章運びがなされていることが、おもしろい文章の実態」(p.84)なども大切です。残念ながら私はまだこの域まで達していませんが。

 後半は「書いて稼ぐ」ための心構え。「てにをは」のようなテクニカルな話ではなく、「書く」ことにどう向き合っていくか。日垣氏のひととなりがよくわかる。もっとも、日垣氏の文章はどこを読んでも日垣氏の顔が見えますね。よいことだと思います。自分が書くことで食っていくなら、ぜひこういう著述家になりたいと思います。
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2007年10月31日

日垣隆「知的ストレッチ入門」

日垣隆著「知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る」大和書房刊、¥1,365
これは勝間さん言われるところの勉強本で、買うなと言われている矢先から買ってしまいました(笑)。でも勉強になります。なにごともアウトプットを意識し、そこにつなげるようにすると、私自身も気に掛け、勝間さんもおっしゃっていましたが、それをもっと徹底しなさいと日垣さんは言っておられます。

 これはブログに限らず、すべての日常、すべての業務にも言えることだろうと思います。抽象的ではなく、定量的に言えるようにすること。がんばるとか、精一杯するとか、言葉としては何の意味もありません。堅苦しい言いかたになるかもしれませんが、今後は私自身、抽象的ではなく、具体的に表現するようにします。子どもに話すときも同じ。なんとなくわかったつもりで、それとなく示唆するのではなく、具体的に。ただし最初から答えを言うのではなく、考えさせること。子どものうちからやってれば、少しはモノになるのではないでしょうか(笑)。

 知的ストレッチの3原則が冒頭に出てきます(p.19)。
1. インプットは必ずアウトプットを前提にする
2. うまくいった諸先輩の方法をどんどん採り入れる
3. おのれを知る
そしてこの3原則から、「知的ストレッチ」として具体的に7つのアプローチが展開されます。すなわち、
1. 読む
2. 構える
3. 考える
4. 創る
5. 書く
6. 疑う
7. 決める
つまり、読みかた、構えかた、考えかた…… を解説してくれています。さすが日垣氏、まとめかたもうまく、「なるほど〜」とうなりながら読みました。たとえば「読む」では、素直に読むこと、大量に読むこと、付箋の使いかたなどを解説しています。そして「いったん本を読み終えてから、5分程度かけて、付箋を貼ったり角を折ったり書き込みをした箇所だけ、まとめて再読します。この「まとめて再読」があるのとないのとでは、その後の読書力は30倍ぐらい違ってくるでしょう。(改行)黄金の5分間です」(pp.48-49)。なるほど。ブログで取り上げる前提で本を読むと、自然とこういう読みかたになります。しかしアウトプットを前提に、大量に本を読むことは普段ほとんどないので、機会があれば活かしたいと思っています。
 テクニック的に参考になることがけっこう細かく書いてあるので(特に前半)、こういう「知的生産の技術向上」を狙っているかたには参考になることが多いでしょう。

 この本、カバーには日垣氏の使っている書類整理用のクリアチェスト「MEDIX (メディックス) A4ファイルユニット ホワイト」、本文の表紙には氏のオーダーメイドカバンの写真が使われています。クリアチェストはどこでも買えるでしょうから、かばんをもう少しくわしく見てみたいですね。その意味で、この本にイラストや写真が豊富に使われているともっとよかったと思います。しかし記述はかなり具体的ですからあえてビジュアル化はせず、逆に「読み手のほうでいろいろ考えて自分の思うとおりにやってみたら」と言う日垣氏のメッセージなのかも知れません。

 前書きで日垣氏は本書のことを、「すぐに使える21世紀版「知的生産の技術」を目指しました」(p.2)とありますが、その試みは成功していると思います。ただ、氏も言っておられますが、こうした技術はテクノロジーの進展ですぐに陳腐化します。自分で満足してしまうことなく、いろいろ試してみることが大切なのだろうと思います。ひとつでもやってみると、自分がずいぶん変わると思いますよ。そしてこの本、あくまで「入門」です。中級、上級へと進めるかどうかは、自分でいろいろとやってみることにつきると思います。
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2007年09月24日

勝間和代著「無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法」

勝間さんの本「無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法」を立ち読みで読み終えたあと、購入しました。やはり、よい本です。

 勝間さんは、勉強することで年収を上げろとおっしゃっています。「年収がだいたい1,500万円になるくらいまでは、年収と幸福感の間には正の相関があるといわれています」(p.4)。身も蓋もないと言ってしまえばそれまでで、露骨ですね(笑)。しかし、たしかに年収が上がると幸福になるというのはわかります。ですから年収増につながるような勉強をするのだと。しかし、同じ勉強でも、基礎力を上げる勉強をするべきで、教養を上げるための勉強とは違うことを知っておかなくてはなりません。「一般に子どものころからの優等生の、一見勉強熱心な人は、とかく教養のための勉強に走りがちですが、たいてい職場の雑学博士になってしまうだけです」(pp.5-6)。耳が痛い。私がよく、職場でいわれるのですよね、雑学だけ強いと(笑)。

 そして具体的な考えかたや手法を紹介されるのですが、ご本人が最後のほうで述べていらっしゃるように、「この本が、他の勉強法の本と大きく違うことは、設備投資的な発想が強いことではないかと思います」(p.215)。機器とその使いかたを述べていらっしゃる点はこの本の特徴でしょう。現在ではIT機器が安価に手に入り、それを使うことでわれわれの勉強のやりかたは過去とはくらべものにならないほど飛躍的に効率化する。これを使わない手はないのです。そのほうが簡単です。「勉強法において差別化できるのは、道具とやり方です。人間、覚える能力とか意思の力にはそんなに大差はありません。そこを勘違いして、努力論に走るから、なかなか続かないのです」(p.120)。「意志に頼らず、仕組みで補えば、勉強は必ず続けられますし、成果も出ます。必要なのは、意志ではなく、仕組みや設備への投資なのです」(p.217)。意志に頼っても続きません。

 なお、「この本に書いてあることをやらないうちは、次の勉強法は買わないでもらいたい」(p.213)とのことで、普通の人だと嫌味たっぷり〜ですが、勝間さんはそれほどこの本の手法に自信があるとお見受けしました。たしかに、この本と心中する気で勉強に取り組めば、他の本は必要ないでしょうし、またこれぐらいやれば絶対に勉強は苦痛ではなくなることと思います。年収は、10倍とはいいませんけど、たぶんついてくると思いますよ(笑)。
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2007年08月13日

広瀬弘忠著「人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学」

広瀬弘忠著「人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学」集英社新書、¥735
誰もが知っている寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」ということばは、いつも私の中にあるわけではありませんが、やはり地震は怖いので、折に触れて防災に関する本は読んでいます。で、災害学者の広瀬弘忠氏です。現代人は危険を感知する能力が劣っている。我々は安全に慣れてしまっており、危険を実感できない。また、地震や火事に巻き込まれると我々は多くの人がパニックに陥ってしまうと思いがちですが、実はそうではない。「パニックはまれだ、というのが専門家の「常識」なのである」(p.15)。だから、建物火災が起こった際に、「大勢の客がパニックになるといけないから」と火災の発生を知らせるのを遅らせたりすると、それこそパニックを生んでしまうとのことです。では「古い災害観」にとらわれている私たちは、どう行動すればよいのか? 「第2章 災害被害を左右するもの」、「第4章 パニックという神話」、「第5章 生きのびるための条件」を取り上げます。

最初に、「災害被害を左右するもの」。
1)逃げる  これはたとえば津波。地震の被害をなくすことはできないでしょうが、津波の被害はなくすことができます。いかに迅速に逃げるか。
2)不安と危機感  「危機的事態を回避する可能性がある場合には、恐怖や不安が強いときほど、リスクを軽減するための行動は頻繁に起こる」(p.85)。「不安や危機感は、防災行動を全般に渡って高める、刺激剤の役割を果たしていたのである」(p.86)。
3)家族集団による行動  家族が一緒に行動するために、家族全員が犠牲になるということもありますが、「家族の心理的・身体的な相互支援の重要さを考えると、家族とともにあることは、総体的には、サバイバルにとって有利な条件をもたらすものであることは間違いない」(p.90)。
4)夜間に発生する災害は、昼間よりも大きな被害をもたらす  これはなんとなくわかりますね。逆に言えば、災害は夜に発生するもので、あらかじめ避難の可能性を検討して準備をしておくということになるでしょう。
5)模倣性、感染性  避難行動では、隣人や知り合いなどが避難すると、つられて行動することが多い。これも逆に言うと、「誰も避難しないからうちも大丈夫だろう」と判断してしまいがちになります。自分で「ヤバイ」と判断したら、とにかく逃げる。結果的に必要なければ、それでいいでしょう。でも「あのとき避難しておけばよかった」では遅すぎます。気をつけるのは、一度こうした「空振り」があると、次の時に前回の「失敗」が頭をよぎってしまうこと。これはむずかしいかもしれません。このことは頭に入れておくほうがよいでしょう。
6)マスコミ接触とパーソナル・コミュニケーション  「日頃から(中略)マスコミ情報を受容する頻度の高い人ほど、災害情報を知る機会が多くなり、避難行動を早めに始めることができる。また、対人関係が密であったり、近隣との関係が良好な場合にも、パーソナル・コミュニケーションを通じて災害情報が入ってくるために、避難行動の開始にとっては有利である」(p.96)。
7)災害経験と災害文化  被災体験には学習効果があるが、別の種類の災害には役に立たない。しかし、「度重なる災害は、社会の内部に災害文化をつくり出す」(p.98)。災害が起こったとき、自分の場合に置き換えて考える習慣を作っておくことが大切かと思います。

次に、「パニックという神話」。冒頭で触れましたが、実は「パニック」はそれほど心配しなくてよいそうです。パニックが強調されているため、それを避けようとするあまり、危険の回避を遅らせ、結果的にパニックを起こしてしまうというのが多くの場合真実であるようです。

1)「パニック神話」  理解を超えた異常な事態が起こり、それに合理的な説明をつけ加えるときに、ときにスケープゴートが必要になることがあります。そのスケープゴートは、「さもありそうな人物」であったりしますが、それでも説明がつかないときに、「パニック」が原因だったと結論づけられることがあります。これが「パニック神話」、すなわち「災害とパニックを短絡的に結びつける「常識」のウソ」(p.15)の誕生です。

2)パニック発生の4条件
パニック発生の条件は、「いずれも人びとの意識の状態と直接的に関わっているものであり、外部的な客観状況のありようとは、間接的な関わりしか持たない」(p.140)。
a)緊迫した状況におかれているという意識が人びとの間に共有されていて、多くの人びとが、差し迫った脅威を感じていること
b)危険をのがれる方法がある、と信じられること
c)脱出は可能だという思いはあるが、安全は、保証されていない、という強い不安感があること
d)人びとの間で相互のコミュニケーションが、正常には成り立たなくなってしまうこと

3)パニックを防ぐには
a)実際以上に危険の切迫度を強調しすぎてはいけない
b)逆に、危険を過小に伝えたり、正しい状況把握のための情報をだししぶったりしない。
c)避難のためのタイムリーな指示を出すこと
d)ホテルやデパートなど、避難路や非常口をわかりやすく表示し、いつでも利用可能であることを常にアナウンスしていること
e)防災訓練をきちんと行うことで、従業員が落ちついて、客に適切な情報を与え、正しく脱出路への誘導を行うこと

 筆者によれば、「ほんとうに恐いのは、パニックそのものよりも、パニックに対する過度の恐れである。パニックはまれにしか起こらないが、パニック恐怖症は私たちの心の中に常駐していて、災害リスクに対処する際に、適切な判断力と合理的な意志決定の力を損なう」(pp.147-148)。また「パニックという言葉を用いて被害を説明しようとするときには、災害や事故の原因の究明を放棄して、防災上の失敗をごまかそうとする不純な動機があるのではないかと、まず疑ってみることが必要である」(p.149)。

 パニックは、(普通は)ないのです。安心してください。

最後に、「生きのびるための条件」。これはかなりシビアな話ですとあらかじめ予告しておきます。身も蓋もないといいますか。

1)生きのびるということ
a)被災者とサバイバー  「日本語には英語のサバイバーに対応する言葉がない、と言ったのは、アメリカの精神科医のロバート・リフトンだ」(p.152)。生き残ったことではなく、自分の身代わりに誰か(特に肉親)が死んでしまい、自分が生き残ってしまったことを不当だと感じる傾向が、日本では特に強く現れる傾向にある。これは何となくわかりますね。結局後追い自殺をしてしまうような例も、よく耳にするように思います。「被災者を、罪悪感から解放して、サバイバーとしてむかえ入れるために、彼らの心の重荷を降ろすことのできる社会的雰囲気を、積極的に作っていかなければならないのである」(p.154)という筆者の意見に賛成です。
b)生き残った人びとの環境  「災害のもたらすダメージは、すべての人に平等ではなく、不当にもきわめて偏ったかたちで配分されるのである」(p.155)。災害は、打ち倒されてしまう人と、ふたたび起きあがる力のある人とを峻別する。

2)どんな人が生きのびるか
a)年齢  「乳幼児や小児を除いて、若い人ほど被害の程度は軽く、また、回復力も強い」(p.156)。逆に老齢化した人は、サバイバーとなっても、精神的なショックに打ち勝てず、苦しむことが多い。肉体的にも精神的にも、若いほうが有利で、年老いたほうが不利だということです。生き残ったあとでも、若い人のほうが精神的なショックをはねのけやすい。仮設住宅における孤独死が、阪神大震災でも問題になりましたが、こういうことを指しているのですね。
b)経済状況  「災害のもたらすダメージは、経済的に貧しい人びとにより重く、豊かな人びとに軽いという現実がある。(中略)ここで言う軽重には、そもそも損害の量的な大きさが貧しい人びとで大きく、豊かな人びとで小さいという絶対的な意味あいと、量的には同じ損害でも、貧困層には重大で深刻だが、富裕層には軽微だという相対的な意味あいの、両方が含まれている」(p.156)。経済状況は、災害に対する上でも大切だというのです。お金のある人のほうが生きのびやすく、その後の生活でも違ってくる。その意味でもお金は大事ですね。
c)冷静沈着さ  当たり前のことですが、なかなかできないのが、落ちついて状況を判断し、生きのびるための準備をする。本文では1954年9月の台風による青函連絡船洞爺丸の海難事故の例が出ています。事故で生きのびた人たちは、冷静にことに臨み、結果的に無事脱出しておられます。もちろん幸運もあったことと思いますが、冷静に対処することで、幸運に遭遇する確率も上がるというものでしょう。自分のすぐ先に死があると絶望するのではなく、別の先に生があるのだと思えれば、対応の方法も違うのかもしれません。ダメだと思ったらダメなのだと思います。
d)果断でタイムリーな意志決定と行動力  c)とも近いかと思いますが、広瀬氏はクラウゼヴィッツの「戦争論」を引いて、まず必要なのは勇気、そして勇気は知性に導かれて果断な行動にいたらなければならないとしています。「事態の危険性を客観的に評価するための知性と、危険度の評価から導かれた結論を、果断に実行するための勇気である」(p.168)。勇気と実行力はおそらく普段の生活の中でも必要になることがあると思いますが、こうした災害のときにはよりその重要度が増し、より「生き残りやすくなる」と言えるかと思います。
e)生存への意志  「強烈な役割意識や義務感、そして激しい愛情などが、生存への意志を高め、災害の中で漂い去ろうとする命を、この世につなぎ止めるよう働く」(p.169)。泳ぎはまったくダメなのに、大西洋上に落ちた航空機事故で生きのびた33歳のナイジェリア人男性の例、また広島で爆心地から1.7kmほどの場所で被爆した北山二葉(当時33歳)の例があがっていますが、「生きたいと強く希望することは、生き残りのための十分条件ではない。行きたいと強く願えば、必ず生き残れるというものではない。けれども、生きたいと欲し、決して諦めないことは、生き残りのための必要条件である」(p.171)。意志あるところに道は通じると言います。まずなにより、家族や愛する人の顔を思い浮かべ、その人たちといっしょに生きることを強く願うことで、ひょっとしたら災害を生きのびることができるかもしれません。あるいは「生き残ればヒーローになってテレビに出られる」といったちょっと次元の低い願いでも、それを強く願望することで結果的に生き残れるかもしれません。

3)生きのびたあとで
 実は生きのびたあとで、新たな生活が始まります。物語なら、生きのびたことでハッピーエンド。でも生活は、そこからまた継続するのです。よりよく生きる人がいれば、その後の生活を生き残れない人も出てくる。本文ではこのあと、第6章でボランティアなどの例を取り上げて「よりよく生きるための方策」を考えます。

 どうでしょうか? 老齢者より若い人のほうが生き残りやすい、また経済的に富裕な層のほうが貧困層よりも生きのびやすく、その後の生活も有利であるとの発言はかなりショックではないでしょうか? だから、「♪よ〜く考えよう、お金は大事だよ〜」ということになるのです。

 災害を研究しておられるだけあって、大きな災害にあっても「研究者」であることを忘れず、冷静に対処しておられるのはさすがです。しかし決して冷徹な観察者ではなく、「血の通った人間」である面も一連の著書から感じられます。その上で、一人一人がどう生き、そしてどう「よりよく生きるか」を考える上では欠かせない研究であり、著作であると感じます。阪神大震災は1月という寒い時期でしたが、今ごろは物事を考えたりするのには絶好の季節です。地震は明日起こるかもしれません。備えはいつでもできますから、ちょっと立ち止まって考えてみられるといいのではないでしょうか。広瀬氏の一連の著作もお勧めしておきます。
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2007年06月15日

佐藤優著「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」

佐藤優著「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」です。これとにかくおもしろかったです。もう少し早く読んでおけばよかったと後悔させられる本でした。いろいろな場所で、この本のすごさ、佐藤氏のすごさは聞いていましたけど、読んでみると本当に知的でおもしろく、興奮します。佐藤氏が頭のよいかたであること、そして精神的にも非常にタフなかたであることが見てとれます。彼が外務省を休職していることは日本の対ロシア外交にとって大きな損失であると思います。五味太郎氏の著作のタイトルを借りれば、彼は「じょうぶな頭とかしこい体」の持ち主ということになるのでしょう。しかし、彼のような人材は外務省には他にいないのですかね? 彼がスーパーマンであることには同意しますが、彼に匹敵する人材が外務省にいないとなると、そりゃ逆に大変なことでしょうね(笑)。

 この本、
1)日ロ関係史における日本側からの証言
2)「塀の中」の様子
3)スパイの心得
と言ったことに注目しながら読んだのですが、結局そうした視点を「佐藤優」という一人の外交官が提供しているからこそ、この本はおもしろい。

 彼や鈴木宗男氏が告発される一連の外務省をめぐる騒動は、佐藤氏に言わせれば「国策捜査」ということになります。佐藤氏は何の罪もないのに獄に入れられたことになりますが、もちろん検察側の主張もあるでしょうし、一方的に佐藤氏の言だけを鵜呑みにするわけにはいきません。しかし先日の堀江貴文氏の裁判でも実刑判決が下されましたが、騒がれたことによって検察のメンツが立たなくなるので有罪になった、と感じてしまいます。「情報屋としては終わった」(p.130)そうですが、こうして著作をなして私たちの前に出てこられたことは、ベストではなくても「最悪ではなかった」といえるのではないでしょうか。

1)日ロ関係史における日本側からの証言
 戦後の日本とロシアの関係について、2000年までに領土問題を解決して平和条約を結ぶという日本政府(外務省)の悲願を達成することはできませんでしたが、そこにいたるまでの経緯をざっと述べてあります。もちろん佐藤氏はその内側にいる人ですから、書けない話も含めてさらにいろいろあると思いますが、我々シロウトにもわかるように書いてあります。
 私もぜんぜん興味もなく知らなかったのですが、平和条約を締結するには領土問題を解決していないとダメなんだそうですね。すると韓国とも領土問題がありますから、平和条約は結ばれていないのでしょうか?

 外務省内の派閥に関しては「親米主義」「アジア主義」「地政学論」の3つの潮流、また「スクール」と「マフィア」などは興味深い話です。学閥はないと言うことですが、キャリアのかたの多くは東大だからでしょうか(というイメージを漠然と持っています)。そもそも私、おそらく学閥が形成されるような人数がいない弱小大学出身なので、数の論理では太刀打ちできず、この点ではわりとひがみっぽかったりします(笑)。この点は、外務省における同志社大学も同じでしょうか(笑)? 私が最初に入った会社も東大出身者がたくさんいらっしゃり、東大以外はまあどうでもよかったような感じだったような?

 日ロ問題、ことに領土問題には立ち入りませんが、一般常識として56年の日ソ共同宣言、93年の東京宣言、01年のイルクーツク声明の重要性だけ押さえておいたらよろしいかと思います。このあたり、教科書に載るような「表の歴史」です。どうでもいいのですが、日本の歴史の教育は近現代史がおろそかになっていて、なんかせっかく勉強するのにもったいないですね。学問とは、現在生きているこの世界を説明するものであるべきで、歴史もこうした観点から教科書を作り、カリキュラムを組むべきだと思いますが…… たとえば二つの世界大戦あたりを説明して、その後現代に向かう流れと、二つの大戦に進んでいく歴史の流れなどを説くとか。じゃないと歴史なんてつまらないと思いますけどね。学ぶ意味を見いだせなくなり、履修しなくていいなんて言う風潮が生まれるのではないでしょうか?

2)「塀の中」の様子
 多分私が塀の中に入ることはないだろうと思うからいえるのでしょうが、拘置所の中の様子がうかがい知れるのは、外部者としては非常に興味深いものです。「塀の中」といえば安部譲二「塀の中の懲りない面々」ですが、これは残念ながら読んでいません。しかしちょっと興味が出てきたので読むかも。あと花輪和一「刑務所の中」ですね。刑務所の中の食べ物がおいしそうです。特にお正月はごちそうみたいですね。わが家は幸いに妻の作る食事は大変おいしいですので、もちろん比ぶるべくもありませんが、ちょっと興味があります。

 さて、食事と取り調べをのぞくと、塀の中でもっとも興味を引くのは読書に関するくだりです。「今から思えば五百十二日間の独房生活は、読書と思索にとって最良の環境だった。学術書を中心に二百二十冊を読み、思索ノートは六十二冊になった。その中で繰り返し読んだのが、『聖書』(新共同訳、日本聖書教会)、『太平記』(長谷川端訳、新編日本古典文学全集五十四−五十七巻、小学館)、ヘーゲル『精神現象学』(樫山欽四郎訳、平凡社ライブラリー)だった」(あとがき、p.394)、「独房で所持できる書籍は三冊以内であるが、『聖書』は別枠(拘置所用語では『冊数外』と言い、宗教経典、辞書、学習書は特別の許可を得て七冊まで所持できる)なので、いつも手元に置き、毎日、預言書に目を通した」(同)などはいろいろなかたが取り上げていらっしゃることと思いますが、興味を引きます。当然ながら、「では自分ならどういった組み合わせで本を持ち込むか」というのは誰しも考えることではないでしょうか。私はキリスト教徒ではありませんが、私も聖書は持ち込みたいと思います。あとは般若心経あたりかな? それと辞書は国語辞典、英和辞典、語学学習用のテキストと辞書といったところでしょうか。別枠でない三冊の本はそのときによって違うことと思います。
 またノートも三冊までだそうです。なるべく厚手のものを用意した方がよいかな。ボールペンはぜひゲルインクでお願いします。

 取り調べについては、担当検事とのやりとりはすごいですね。私などはすぐ「検察の自動供述調書製造器」(p.235)になること、まちがいない。お互いに心理的な揺さぶりあいをしていますが、私なんかその場にいたらこれが心理的な揺さぶりであろうと感じる間もなくしゃべってしまうでしょう。「外務省はあんたのことを完全に切っているぜ」(p.232)なんて言われたら、まちがいなくオイオイ泣いてます。後でも触れますが、こういう風にはなかなか割り切れないと思いますし、割り切れないことがすぐに面に出てしまうことと思います。ピーター・フランクル氏がお父様の言葉としておっしゃっておられた、「人の財産は頭と心だけ」だからと、理性的な対応をすることはむずかしいでしょうね。

3)スパイ・佐藤優
 スパイについて語るならば、やはりこれまで私が読んだ江畑謙介著「情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴」、ジャック・バース著「スパイ的思考のススメ」ははずせないと思いますが、佐藤氏が著作の中で取り上げていたウォルフガング・ロッツ著「スパイのためのハンドブック」という本もおもしろく、こちらも読みました。佐藤優お勧めということで、こちらもどうぞ。

 ところで、私はスパイにはなれそうもありません。スパイ、情報屋、呼び名はなんでもよろしいですが、こういうものに私は不向きです。
 まずスパイは非常に頭を使います。短い時間の中で瞬時の判断を常に求められている。たとえばこの本の冒頭でも、2002年9月17日、小泉首相(当時)が金日正総書記と電撃的に会談した臨時ニュースに即座に反応(脊髄反射!)してレポートにまとめるという下りがありますが、これまで習慣的に瞬間的にしてきたことが、拘置所の中でさえ出てくるというのは、情報屋としての本能なのでしょう。

 日常生活の中で参考になるかどうかはわかりません。というより、情報屋の思考はわれわれの日常的思考とは相容れないものなのかもしれません。ソ連時代の政治犯の言葉で、「強い者の方から与えられる恩恵を受けることは構わない。しかし、自分より強い者に対してお願いをしてはダメだ。そんなことをすると内側から自分か崩れる。強制収容所生活は結局のところ自分との闘いなんだよ」(p.13)など、なかなかできないのではないでしょうか。しかし、普段からこういう思考ができていれば、日常生活は恐くないでしょうね。
 あと、「情報屋の基礎体力は記憶力だ」(p.217)というくだりがでてきますが、佐藤氏はペンも紙もない状況で、独房に戻ってから取り調べの状況を再現するのだそうです。取調室には使い捨てのコップに水が入っており、佐藤氏がそれをときどき口にする。「その水の量と検察官のやりとり、また、西村検事は腕時計をはめず(腕時計をしているならば、時間とあわせて記憶を定着させることはそれほど難しくない)、ときどき懐中時計を見る癖があるので、その情景にあわせて記憶を定着させた。今でも取り調べの状況を比較的詳細に再現することができる」(pp.217-218)などはすごいですね。私の試験勉強にこうした記憶術が使えていれば苦労はなかったでしょうに(笑)。
 その他にも、検察事務官との会話から担当検事(西村氏)の人となりを推し量ったり、弁護士とのやりとりの中で全体像に関する情報を持つ人を限定する「クォーター化の原則」の指示を出すなど、「スパイ好き」の目を引くたくさんの「スパイ・テク」がちりばめられています。

 最初に書きましたが、結局この本がおもしろいのは佐藤優氏の個性によるところが大きい。特に検事の西村尚芳(ひさよし)氏とのやりとりでは、「プロどうし」のかけひきがスリリングです。この本のレビューにあたり、私は3つの視点を提供しましたが、本当のおもしろさはぜひ本文で。
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2006年12月12日

トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」

トーマス・フリードマン著「フラット化する世界(上)」「フラット化する世界(下)」日本経済新聞社、各¥1,995

梅田望夫著「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」と並び、今年の必読の書です。訳者はあとがきに「万人が読むべきだし、読まなければならない」(下巻p.408)と言い切っていますが、その通り。これを読むと「グローバリゼーション」という言葉すらすでに「終わっている」と思います。世界の「グローバル化」はすでにウェブ上で次の段階(グローバリゼーション3.0またはフラット化)に向けて進んでいるのです。

 上巻では、「世界をフラットにした10の要因」が上がっています。すなわち、
1) ベルリンの壁の崩壊による、東西を分ける物理的な障壁の消滅
2) インターネットの普及
3) コラボレーションを実現するコンピュータ性能の向上とブロードバンド
4) LINUX、wikipediaなど、コミュニティの力を利用するアップローディング
5) 会計など、特定機能のアウトソーシング
6) アウトソースを進め、会社を丸ごとオフショアリング(対岸=海外へ持ち出す)
7) サプライチェーンによる仕入れ先、小売店、消費者の水平化
8) ロジスティクスを同期化するインソーシング
9) グーグルによるインフォーミング(情報の水平化)
10) テクノロジーのさらなる加速

 まとめますと、インターネットがほぼ全世界的に広がり、接続環境がよくなるところへ、コンピュータの性能がハード、ソフトともに飛躍的に高まり、企業、政府→市民、あるいは先進国→後進国といった垂直的な流れから、世界中の人々を横断的につなぐ水平化=フラットな世界へと「変わっている」のが本書を通しての筆者の見立てです。
 もう一つのキーワードは「三重の集束」、すなわち
1)10のフラット化すべての要因の集束により、よりフラットでグローバル化した競技場の確立。そしてバリューを創出するのに、垂直ではなく水平の手段が使われるようになる。
2)世界のフラット化のさらなる進展により、中国、インド、旧ソ連の人々が参加できるようになる。
3)こうしたフラット化した新世界と新式のツールにより、いまだかつてないほど直接的、安価、強力につながり、コラボレートすることになる。
こうして「フラットな世界」は広まっているのです。

 下巻では「フラットになった世界」に対する「アメリカの向き合いかた」を述べています。まず、教育に関する問題。アメリカも科学に対する予算が減らされているそうで、このあたりは日本と同じような状況といえるでしょう。教育の費用を地方自治体に負わせ、補助金等は削減するわけですから、日本も安泰ではありません。ことにOECDの数学や科学に対する調査では、成績がどんどん悪くなってきているといいます。いずれ日本が科学後進国になるのも、そう遠くないかもしれません。また、これには政治的リーダーシップの欠如も問題のようです。
 そしてアメリカや日本の子どもたちは、インドや中国などの人々と競争しなければなりません。仮に日本に1万人のライバルがいるとすれば、インドと中国にはそれぞれ10万人ずつのライバルがいる計算になります。フラット化する世界のメリットを享受する私たちは、より優秀なほうを選べばいいのですが、われわれの子どもたちは「ライバル」に負けないように競争しなければなりません。彼らも食べていかなければなりませんから。このあたりのジレンマはむずかしいところです。フリードマンは本文中で、いわゆる中流階級の能力を高める必要性について述べていますが、実際に「私の子ども」がこうした競争にさらされると、どうしてよいやら……

 発展途上国がフラット化していくに当たっても問題があります。中国やインドが台頭してきたとはいえ、それは一部の都市に限定されています。中国全土、インド全土(特にインドはカースト制度があります)に広がることがあるのか? また他のアラブ・イスラム国家、アフリカ諸国はどうか? またこうした国や地域がフラット化することで、天然資源の枯渇が早まり、新たな紛争の火種になるのではないか? 悩みはつきません。フラットかを広める処方箋はある、しかしそれは本当に実現可能なのか? また実現させてよいものか? 「現在の流れのままだと、2012年には中国の原油輸入量が、現在の1日700万バレルから1400万バレルに倍増する。それだけの増加を支えるには、サウジアラビアがもう1国必要だ」(下巻p.312)。

 これに対する回答として、フリードマンは「地球緑主義(ジオグリーニズム)」という考え方を紹介しています。これが世界を救う絶対的な妙手となるのかどうかは疑問ですが、何もしなければ破滅への道を歩むだけです。

 世界がこうした知識を共有し、進んでいくためには、9.11のような「悪党どもに結びついている日」(p.385)ではなく、11.9−−ベルリンの壁が崩壊した日−−のイメージが必要です。その萌芽はeベイやインドなど、フラットな世界のいたる場所に出てきています。これらが世界中の人々のイマジネーションをよい方向に刺激していくことを筆者は願っています。それはまた、われわれの願いでもあると思います。

「世界が、付加価値を生み出すための垂直な−−指揮・統制(コマンド&コントロール)−−システムから、バリューが自然と生まれる水平な−−接続・共同作業(コネクト&コラボレート)−−システムのモデルに移行し、壁と屋根と床が同時に吹っ飛ばされると、多数の重大な変化が一度に起きているのを科学者も認めるようになった」(p.328)。
 そうです、世界中の価値はすでに指揮・統制からではなく、接続と共同作業から生まれているのです。私もそれに参加しています。そしてこれを読んでいる皆さんも。何度も書いていますが、すでに私たちはインターネットのある社会にどっぷりつかっており、あらゆる場面でインターネットに依存する社会のあり方、中でもブログやってたり、あるいはヤフオクに出品しているでも買い物をしているでもいいのですが、いわゆるWeb2.0的な世界に強くコミットしているのですよね。ブログを発信し、amazonで本を買い、iTunes&iPodで音楽を聴き、Podcastで語学のお勉強。私たちは現代社会のいちばんエッジの部分にいる。しかしそれは決してとんがった鉛筆の先のような、一部の限られた人の特権のある場所ではなく、広い砂浜の海岸線のように、たくさんの人々が集い、普通の市民の、普通の生活が集まっているような場所なのだと思います。

 しかし現在のようにインターネットが広く普及していても、変わらないモノもあります。上巻で、マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」が引用されています(上巻p.330)。しかしこれ、筆者も述べていますが、1848年に書かれたものだとはとても信じられません。まさに著者が述べている内容そのものであるといっても遜色ないぐらいです。もちろん「共産党宣言」など読んだことも、見たことすらありませんが、この現代を予言したとも言える書物が、共産党国家が消えたあとに評価されるというのも皮肉です。いまや、昔からの意味で残っている共産党国家は北朝鮮ぐらいなものでしょうか。それすら世界の中心どころか辺境(エッジ)に位置し、多くの国を敵に回している「ならず者国家」。「共産党宣言」に対する評価はこれから歴史が決めていくと思いますが、この書物は、共産主義国家がなくなってしまったことととは別の評価が必要なのでしょう。「共産党宣言」については異論のあるかたも多数おられると思いますが(笑)、書物に関する評価はいろいろな要素が必要になるのでしょう。

 インターネットが市民に解放され、数多くのテキストをインターネットで読むことができるようになっていますが、それでもインターネットの価値を評価したり、インターネットについて考えるきっかけはまだ書物から得ることも多いです。不思議なものです。
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2006年12月04日

梅田望夫著「ウェブ進化論」

梅田望夫著「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」ちくま新書、¥777
三つの意味で、この本は失敗でした。一つは読むのが遅すぎたこと。もう一つはこれまで梅田望夫氏を知らなかったこと、そして、この本を読み始めたために図書館で借りていた他の読みかけの本がすべて延滞リストに入ってしまったことです。

 別の場所(「読書編」の予告)に書きましたが、これはいい本でした。これも今年読んだ中での最上位にランクされる本だと思います。いや「時代を画する」1冊にあげてもいいかもしれません。もう少し早く読めばよかったと反省しています。結局、気になってしょうがなくなってしまったので、ブックオフもamazonも使わず、近くの本屋(3軒回ってやっと)見つけた本屋で買ってしまいました。

 私は、他のかたの書評のサイトとか、この本について言及されたものをほとんど読んでいませんが、いろいろな場所で話題になっていたようです。現在のインターネットが置かれている状況を、「世界のITの中心」シリコンバレーから俯瞰し、同時代的状況と歴史的(といってもたかだか15年程度ですが)経緯を踏まえ、日本、世界の「今」を伝えるエバンジェリスティックな本だといえると思います。すべてのPC利用者、すべてのインターネット利用者、いやすべての現代人が目を通すべき書物だとさえ思います。

 しかし、この本を読んで一番の収穫は、自分もこの本の指し示す同時代的状況に参加(加担)しているという、関係者としてのよろこびだと思います。ブログを含め、自分のやっていることが、そのまんま梅田氏の主張する世界、web2.0なんだなーということを教えてくれた。そういったよろこびが、この本を読んでありました。すでに読まれたかたも、そのように感じられた人は多かったのではないでしょうか。今さらと言われそうですが、多くの人に読んで欲しい本です。そして読むべき本だと思います。そして、ブログは読むけど自分では書いておられないかた、いらっしゃったらすぐにでもブログをはじめるべきです!

 この本をごく簡単に要約すると、「Web2.0」、「google」、「ロングテール」などの現代インターネット理解に不可欠のキーワードを解説した本なのですが、その底には三つの流れ、すなわち「インターネット」、「チープ革命」、「オープンソース」がある。このネット世界を動かす三大法則が「神の視点からの世界理解」、「ネット上に作った人間の分身が金を稼いでくれる新しい経済圏」、「(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something、あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積)」であるというものです。コンピュータやインターネットが、そのまま大企業による経済活動の結果で、われわれはあくまで与えられたものをよしとするしかなかったが、現在、そしてこれからはそうではない。主役は私たち、すなわちコンピュータ(インターネット)の「こちら側」に移りつつある。それがオープンソースであり、ブログなのです。

 世の中に初めて「TRON」の概念が現れたとき、「こいつはすげーなー」と感心しました。85年頃だったと記憶しています。しかし坂村氏の描くTRONは未来の話でした。彼の思想は紆余曲折を経て、「ユビキタス」としてさまざまな機器へ実装されていきます。あの当時描いていた私の未来像とは違うカタチでTRONは結実しました。
 「ウェブ進化論」で語られているのは、「いま」です。サブタイトルに「本当の大変化はこれから始まる」とあるので、できればもう少し梅田氏の描く「これから」が読みたかったのが本音ですが、それでもこの本は、「今」という時代を知る上では不可欠の本です。インターネットの「向こう側」では何が起きているのか? その思想的背景(というと大げさですが)は何か? 今の自分の立ち位置がよくわかると思います。
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