2006年12月12日

トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」

トーマス・フリードマン著「フラット化する世界(上)」「フラット化する世界(下)」日本経済新聞社、各¥1,995

梅田望夫著「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」と並び、今年の必読の書です。訳者はあとがきに「万人が読むべきだし、読まなければならない」(下巻p.408)と言い切っていますが、その通り。これを読むと「グローバリゼーション」という言葉すらすでに「終わっている」と思います。世界の「グローバル化」はすでにウェブ上で次の段階(グローバリゼーション3.0またはフラット化)に向けて進んでいるのです。

 上巻では、「世界をフラットにした10の要因」が上がっています。すなわち、
1) ベルリンの壁の崩壊による、東西を分ける物理的な障壁の消滅
2) インターネットの普及
3) コラボレーションを実現するコンピュータ性能の向上とブロードバンド
4) LINUX、wikipediaなど、コミュニティの力を利用するアップローディング
5) 会計など、特定機能のアウトソーシング
6) アウトソースを進め、会社を丸ごとオフショアリング(対岸=海外へ持ち出す)
7) サプライチェーンによる仕入れ先、小売店、消費者の水平化
8) ロジスティクスを同期化するインソーシング
9) グーグルによるインフォーミング(情報の水平化)
10) テクノロジーのさらなる加速

 まとめますと、インターネットがほぼ全世界的に広がり、接続環境がよくなるところへ、コンピュータの性能がハード、ソフトともに飛躍的に高まり、企業、政府→市民、あるいは先進国→後進国といった垂直的な流れから、世界中の人々を横断的につなぐ水平化=フラットな世界へと「変わっている」のが本書を通しての筆者の見立てです。
 もう一つのキーワードは「三重の集束」、すなわち
1)10のフラット化すべての要因の集束により、よりフラットでグローバル化した競技場の確立。そしてバリューを創出するのに、垂直ではなく水平の手段が使われるようになる。
2)世界のフラット化のさらなる進展により、中国、インド、旧ソ連の人々が参加できるようになる。
3)こうしたフラット化した新世界と新式のツールにより、いまだかつてないほど直接的、安価、強力につながり、コラボレートすることになる。
こうして「フラットな世界」は広まっているのです。

 下巻では「フラットになった世界」に対する「アメリカの向き合いかた」を述べています。まず、教育に関する問題。アメリカも科学に対する予算が減らされているそうで、このあたりは日本と同じような状況といえるでしょう。教育の費用を地方自治体に負わせ、補助金等は削減するわけですから、日本も安泰ではありません。ことにOECDの数学や科学に対する調査では、成績がどんどん悪くなってきているといいます。いずれ日本が科学後進国になるのも、そう遠くないかもしれません。また、これには政治的リーダーシップの欠如も問題のようです。
 そしてアメリカや日本の子どもたちは、インドや中国などの人々と競争しなければなりません。仮に日本に1万人のライバルがいるとすれば、インドと中国にはそれぞれ10万人ずつのライバルがいる計算になります。フラット化する世界のメリットを享受する私たちは、より優秀なほうを選べばいいのですが、われわれの子どもたちは「ライバル」に負けないように競争しなければなりません。彼らも食べていかなければなりませんから。このあたりのジレンマはむずかしいところです。フリードマンは本文中で、いわゆる中流階級の能力を高める必要性について述べていますが、実際に「私の子ども」がこうした競争にさらされると、どうしてよいやら……

 発展途上国がフラット化していくに当たっても問題があります。中国やインドが台頭してきたとはいえ、それは一部の都市に限定されています。中国全土、インド全土(特にインドはカースト制度があります)に広がることがあるのか? また他のアラブ・イスラム国家、アフリカ諸国はどうか? またこうした国や地域がフラット化することで、天然資源の枯渇が早まり、新たな紛争の火種になるのではないか? 悩みはつきません。フラットかを広める処方箋はある、しかしそれは本当に実現可能なのか? また実現させてよいものか? 「現在の流れのままだと、2012年には中国の原油輸入量が、現在の1日700万バレルから1400万バレルに倍増する。それだけの増加を支えるには、サウジアラビアがもう1国必要だ」(下巻p.312)。

 これに対する回答として、フリードマンは「地球緑主義(ジオグリーニズム)」という考え方を紹介しています。これが世界を救う絶対的な妙手となるのかどうかは疑問ですが、何もしなければ破滅への道を歩むだけです。

 世界がこうした知識を共有し、進んでいくためには、9.11のような「悪党どもに結びついている日」(p.385)ではなく、11.9−−ベルリンの壁が崩壊した日−−のイメージが必要です。その萌芽はeベイやインドなど、フラットな世界のいたる場所に出てきています。これらが世界中の人々のイマジネーションをよい方向に刺激していくことを筆者は願っています。それはまた、われわれの願いでもあると思います。

「世界が、付加価値を生み出すための垂直な−−指揮・統制(コマンド&コントロール)−−システムから、バリューが自然と生まれる水平な−−接続・共同作業(コネクト&コラボレート)−−システムのモデルに移行し、壁と屋根と床が同時に吹っ飛ばされると、多数の重大な変化が一度に起きているのを科学者も認めるようになった」(p.328)。
 そうです、世界中の価値はすでに指揮・統制からではなく、接続と共同作業から生まれているのです。私もそれに参加しています。そしてこれを読んでいる皆さんも。何度も書いていますが、すでに私たちはインターネットのある社会にどっぷりつかっており、あらゆる場面でインターネットに依存する社会のあり方、中でもブログやってたり、あるいはヤフオクに出品しているでも買い物をしているでもいいのですが、いわゆるWeb2.0的な世界に強くコミットしているのですよね。ブログを発信し、amazonで本を買い、iTunes&iPodで音楽を聴き、Podcastで語学のお勉強。私たちは現代社会のいちばんエッジの部分にいる。しかしそれは決してとんがった鉛筆の先のような、一部の限られた人の特権のある場所ではなく、広い砂浜の海岸線のように、たくさんの人々が集い、普通の市民の、普通の生活が集まっているような場所なのだと思います。

 しかし現在のようにインターネットが広く普及していても、変わらないモノもあります。上巻で、マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」が引用されています(上巻p.330)。しかしこれ、筆者も述べていますが、1848年に書かれたものだとはとても信じられません。まさに著者が述べている内容そのものであるといっても遜色ないぐらいです。もちろん「共産党宣言」など読んだことも、見たことすらありませんが、この現代を予言したとも言える書物が、共産党国家が消えたあとに評価されるというのも皮肉です。いまや、昔からの意味で残っている共産党国家は北朝鮮ぐらいなものでしょうか。それすら世界の中心どころか辺境(エッジ)に位置し、多くの国を敵に回している「ならず者国家」。「共産党宣言」に対する評価はこれから歴史が決めていくと思いますが、この書物は、共産主義国家がなくなってしまったことととは別の評価が必要なのでしょう。「共産党宣言」については異論のあるかたも多数おられると思いますが(笑)、書物に関する評価はいろいろな要素が必要になるのでしょう。

 インターネットが市民に解放され、数多くのテキストをインターネットで読むことができるようになっていますが、それでもインターネットの価値を評価したり、インターネットについて考えるきっかけはまだ書物から得ることも多いです。不思議なものです。
posted by zxcvaq at 06:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆☆☆☆☆(必読!) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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