2008年08月20日

外山滋比古著「エディターシップ」

外山滋比古著「外山滋比古著作集〈4〉エディターシップ」みすず書房、¥3,150
うちの本棚を眺めておりましたら、外山滋比古著「エディターシップ」がありました。私は大学を卒業するときと東京から帰ってくるときの2回、引っ越しが面倒でしたので、持っていた本のほとんどを手放しました。従って読んだことは記憶にあっても、持っているかどうかとなるとかなり怪しい。その中でこの本は残っていたようです。私が持っているのは1994年の復刻版で、原著初版は1975年2月となっています。

 しかしこれも先日紹介した「思考の整理学 (ちくま文庫) (ちくま文庫)」と同様、内容的にはちっとも古びていません。今読んでも十分おもしろいです。たとえば「インターディシプリナリ」ということば、私は中沢新一あたりが台頭してきたときに初めて知った言葉でしたが、すでにこの本で使われていて、ちょっとびっくりしました。もっとも初版が出たころはまだ字もろくに読めないころですけど(笑)。

 さて、外山氏のいうエディターシップとは何か。本文中では、たとえば「(前略)人間の心には、断片と断片を結合させて連続の錯覚へ昇華させようとする傾向が遍在している」(p.78)、「選び出され、組み合わされると、すべては、その本来の機能、価値とは別に臨時の価値を持つようになる。それを見越してコンテクストの移動を行うのがエディターシップである」(p.98)などと定義されています。すなわち、エディターシップとは新聞や雑誌の編集行為にとどまらず、広く人間の知的な営みを指します。それはたとえば、二つのものから別の意味が立ち上がってくるような、弁証法的手法ともいえるかもしれません。本文では「荒海や佐渡によこたふ天河」という俳句が例に出てきています。「荒海や」と「佐渡によこたふ天河」の論理的関係は明示されていないが、両者はバラバラではなく、まとまっている。

 知的行為はすべてエディターシップであると定義できそうですが、私たちがこうしてブログに書くのももちろんエディターシップです。外山氏はこうしたインターネットの動きを、どのような思いで見つめていらっしゃるのでしょうか。私自身、ブログに書くことに特別の意識があるわけではありませんが、本や他の人のブログを読んだりすることで、私の中で化学反応が起こり、今までにない新しい考えが生まれたり、あるいはこのブログを読んだかたの中で、何かが生まれているのかもしれません。

 勝間和代氏が、インプットとアウトプットの量を50対50に近づけると良いとおっしゃっておられます。日頃の生活の中で、考えたことや本、テレビの話題などをアウトプットする。ブログというツールはそうした使用には便利です。自分で見返す点でも、他人に見てもらう点でも。ブログのために本を読むのは本末転倒だろうとも思うのですけど、本を読んで自分の頭の中で混沌としていたモノが、文字となって形を取ってくるのは楽しい。外山氏はこうしたことを、ずっと前から述べていらっしゃったのです。
posted by zxcvaq at 05:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆☆☆☆☆(必読!) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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